人類が最小の機能分子「分子」をつなぐ方法、つまり分子構築法を研究し始めてからおよそ200年。長いように思えますが、文学や法などの研究はもちろん、科学においても機械などマクロの構築学に比べて極めて新しいことがわかるでしょう。
その歴史の中でこれまで幾多数多の分子構築法が開発されてきました。有機分子ならば、分子をつなぐために必要な方法は、炭素と炭素の結合をつなぐ、炭素ー炭素結合生成反応です。
例えば2010年にノーベル化学賞を受賞したクロスカップリング法は有機分子のつなぐ手法をあらゆる人が使えるようにした素晴らしい反応です。私たちはこのカップリング法をより拡張させ、自在な分子構築が可能な触媒とその反応の開発を目指します。
現在の研究例
脱カルボニル型変換反応の非線形展開:転位・脱酸素・メタセシス(2019–)
私達が見出した脱カルボニル化変換反応は、出発物質は異なるが、芳香族ハロゲン化物を用いたクロスカップリング反応においても同様な生成物を与えます。未だ、基質一般性や高温を要するといった課題はあるものの、汎用官能基を「脱離基」としてみなすことができるようになった今日、現状以上のブレイクスルーは期待できません。すなわち本反応においても、エステル→官能基という線形変換反応です。
現在は、脱カルボニル型カップリング反応の非線形展開を目指した触媒開発を行っています。具体的には、エステルダンス(転移)反応、脱酸素型反応、メタセシス反応という高難度反応開発を促進する新触媒を開発しています。それらを実現する化学は精密デザインを施した分子触媒である。基質と金属・配位子の相互作用を綿密制御しながら、既存の概念に囚われない反応開発に着手しています。縦糸(既存の脱カルボニル型反応)と横糸(当該新奇反応)が織りなすとき、置換芳香環の自在合成法を獲得することができると考えています。
機械学習による有機反応の効率的最適化(2018–)
新規有機反応の検討には様々な検討パラメーター(触媒・試薬・温度・溶媒・反応時間・添加剤など)があります。これらをゼロから探索していくのが有機反応開発研究の一部ですが、膨大な実験量が必要です。これらを機械学習によって効率的に最適化することにより、選択肢の低減や新たな指針の発見を目指します。ひいては、革新的な分子をつくるための「分子をつなぐ」研究の一助となります。本研究は本学化学・生命科学科の中井研究室との共同研究です。
これまでの研究
芳香族カルボン酸誘導体をカップリング剤とした高難度変換反応の開発(2016–2018)
芳香族カルボン酸誘導体は市販試薬や合成中間体として頻繁に見られる合成化学における「ユビキタス構造体」です。芳香族カルボン酸誘導体は非常に安価であり、複素環合成法においては、原料にカルボン酸誘導体が用いられ、合成後の芳香環上にカルボン酸、およびエステル基は保持されます。それらを他の官能基に変換することなく、直接、炭素骨格やヘテロ原子を含む化合物へ変換することは、工程数を低減させるのみならず、合成戦略を一新できる可能性があります。また、現在触媒的クロスカップリング反応のカップリング剤(求電子剤)は、芳香族ハロゲン化物(脱離基:ハロゲン化物)が主役であり、最近は安価なフェノール誘導体(脱離基:OR)などが用いられている。求核剤にカルボン酸を用いる手法は知られているが、高価なPd触媒を用いる、激しい反応条件を必要とする、または基質に大幅な制限があることが課題です。従って、カルボン酸誘導体(脱離基:CO2R)を求電子剤に用いる変換法の開発は既存のカップリング反応の概念を拡大させる可能性を秘めています。
私たちは、2012年独自に見出した新規ニッケル触媒[Ni/dcype触媒 dcype = 1,2-ビス(ジシクロヘキシル)ホスフィノ]エタン]存在下、1,3-アゾール類に対し、カップリング剤に芳香族エステル(Ar–CO2Ph)を用いることで、脱エステル型C–Hアリール化反応が進行することを見出しています(下図左式)[2]。フェニルエステルを用いた場合のみ、形式的にエステルが脱離基として働き、1,3-アゾールとカップリング反応を起こします。エステルそのものが脱離基として働くという前例はほとんど知られていません。本反応を用いた複雑天然物muscoride Aの形式全合成にも成功しています。さらに2015年、芳香族ハロゲン化物の代わりに芳香族エステルをもちいた鈴木-宮浦カップリング反応の開発に成功しています(下図右式)。極めて安価なNi(OAc)2/P(n-Bu)3触媒と炭酸ナトリウムを用いると幅広い芳香族エステル化合物と有機ホウ素化合物が反応します。本反応により、ハロゲン化物を用いたカップリングでは多段階を要する、もしくは合成困難な化合物の合成が容易となった。脱エステル型C–Hアリール化反応や他の独自で開発したニッケル触媒反応を併せ用い、オルソゴナルな分子変換技術の確立にも成功しています。
本反応は、エステルを求電子剤としてみなし、金属へのC–O結合の酸化的付加、求核剤の攻撃、脱カルボニル化、還元的脱離を経ることによりカップリング体が得られます。私達の研究の焦点は、上述した2種類の芳香族エステルのカップリング反応を基盤とし、潜在的な求核剤を様々なヘテロ原子を含む化合物や炭素骨格へと大幅に拡大することでした。すなわち、カルボン酸誘導体から直接炭素—炭素結合形成、炭素—ヘテロ原子結合反応の開発を行いました。
その結果、求核剤を変更することにより、アルキニル化/メチル化/エーテル化/アルキル化/C–P結合形成など10種以上の脱カルボニル型カップリング反応を見出しました。
私達の研究以後、国内外で多数の研究者の参入により、脱カルボニル化変換反応は急速に発展した研究対象となりました。
関連論文
J. Am. Chem. Soc.2012, 134, 13573; Nature. Commun. 2015, 6, 7508; Org. Lett. 2016, 18, 5106: Chem Lett. 2017, 46, 218; J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 3340
直接C–Hカップリング反応による生物活性分子の革新的合成法の開発(2008–2015)
芳香環―芳香環結合を有するビアリール骨格は、医薬品や生物活性天然物に頻繁に見られる骨格です。「如何にしてビアリール骨格を構築するか」は、有機合成化学における最重要課題のひとつとなっています。近年ビアリール骨格を構築する最も理想的な方法として、炭素―水素結合(C–H結合)の直接的化学変換が大きな注目を集めています。われわれは、独自の戦略に基づいた新反応・新触媒開発により、この分野の進展に寄与してきました。本研究の焦点は、生物活性分子の迅速合成に不可欠な「真に自在な芳香環連結反応」の開発とこれを用いた標的物質の超短工程合成の実践である。実践的化学合成を通じて新反応を開発することが、真に一般性の高い力量ある合成反応を開発するための最良の道であると信じるからです。その結果、10種類以上の新規芳香環直接連結反応(C–Hカップリング反応)を開発し、15以上の天然物を含む生物活性分子の合成および400以上の新規ヘテロビアリール誘導体を合成しました。
以下にその概説を述べます。直截的な炭素ー炭素結合形成を開発すべく、C–H結合を直接変換するC–H結合直接変換反応(C–Hカップリング反応)を開発してきました。
(1) ニッケル触媒を用いたヘテロ芳香環C–Hカップリング反応
ヘテロ芳香環C–Hカップリング反応はPd, Rh, Ru触媒にアリール化剤にハロゲン化アリールが主流である。本研究では、安価なNi触媒によるヘテロ芳香環と3種類のアリール化剤(ハロゲン化アリール、フェノール誘導体、芳香族エステル)との直接的カップリング反応を初めて見出しました。開発したNi触媒反応は、痛風治療薬の迅速合成、複雑なキニーネの直接C–Hカップリング、天然物の収束的全合成にも威力を発揮しました。また、Ni触媒の性質を活かしたC–Hアルケニル化、カルボニル化合物のα—アリール化、さらに、有機ボロン酸と芳香族エステルとの新規クロスカップリング反応の開発に成功しました。
(2) 5員環ヘテロ芳香環のβ位選択的なC–Hカップリング反応
ヘテロ芳香族環C–Hカップリング反応は、多数の遷移金属触媒が報告されています。しかしながらC–H結合変換の位置選択性は、基質の反応性や構造に依存し、触媒制御の顕著な例は報告されていませんでした。独自の仮説に基づき、実現不可能であったチオフェンおよびピロールのb位選択的なアリール化、チアゾールのC4位選択的カップリングを促進する新規触媒を開発しました。開発した反応はアルツハイマー病治療薬や新規σ1受容体、MRSA耐性菌に有効な化合物、HDAC阻害剤の最終段階でのC–Hカップリング反応による誘導化に有効でした。また本反応を鍵反応とした、他置換アリールのプログラム合成、ピロールアルカロイド類の短工程合成も達成しました。
この他に(3)インドールとアジン類のC–Hカップリング反応、(4)ヘテロ芳香環の不斉C–Hカップリング反応、(5)医薬品重要骨格インダゾール類のC–Hカップリング反応にも成功している。
以上本研究成果は、直接的に構築することが困難であり多段階を要していた炭素-炭素結合の形成に一石を投じるものであり、今後、天然物および医薬品候補化合物群の迅速合成やそれらを用いたケミカルバイオロジー研究を加速する基盤的技術となる可能性を秘めています。